「深夜特急」というたった4文字に、どうしてこれほどまで心を引き寄せられるのだろうか。思えば、沢木耕太郎の「深夜特急」を思い起こさせるからかもしれない。だが、自分がどれほど沢木耕太郎の影響を受けているかと言われると、それほどでもない気がする。
父は国鉄時代に入社し、JRを経て引退した、いわゆる「国鉄族」だ。幼い頃から鉄道に触れて育った私は、父の影響を受け、1988年のクリスマスイブにオリエント急行が日本にやってきたとき、深夜の金沢駅へと見に行ったのを今でも覚えている。あの夜、6歳の私は、ヨーロッパの香りを漂わせる豪華な列車を目の当たりにし、その光景はぼんやりと今も記憶に残っている。
高校時代、通学に使っていたのは寝台特急から改造された419系。沢木の「深夜特急」とは違い、私にとっての深夜特急はいつも現実的な存在だった。
さて、少し話がそれたが、オリエント急行のように、世界中には今でも多くの「深夜特急」が運行されている。日本で定期運行しているのは、もう「サンライズ出雲」くらいしか残っていないのが残念だ。しかし、世界を見渡せば、まだまだ深夜特急が走っている。
そのうちの一つ、タイ南部からバンコクへ向かう寝台特急に乗る機会が訪れた。夕方6時、私はペナンからバスでHat Yai駅に到着。タイとマレーシアの国境近くに位置するこの駅に、出発を控えた深夜特急が静かに待っていた。
日本の駅とは違い、車輪が見えるほど低いプラットフォーム。そして、ホームを行き来するための陸橋などもなく、線路をそのまま横断する姿があった。ふと線路の先を見ると、家路に急ぐ人々が線路を歩いているのが目に入った。その光景はどこか懐かしさを感じさせ、列車が一段と神々しく見えた。
私はその深夜特急のプラットフォームを何度も行ったり来たりした。魅了されたように、ただその姿を見つめ続けた。列車がとても神々しく見えたのだ。別れを惜しむ2人。車内で出発を待つ人。車窓から見える食堂車。食堂車には花が飾られていた。造花だろ?いつも思い浮かぶような言葉が思い浮かばないくらい何故か魅力的に見えた。
しかし、出発の時間が近づいて気づいた。この列車は私が乗る列車ではなかったのだ。音を立てて先にバンコクへと向けて出発した。
その後待つこと、30分。私が乗る深夜特急が到着した。入線してくる列車を見て感じた。ちょっとまて。クオリティがぜんぜん違う。明らかに古い。とはいえ、そうだよな乗ってみないとわからない。買ったチケットはこの列車の中で一番良いチケットであるエアコン付き2等車だから大丈夫。妙に自分に言い聞かせていた。
そして乗車した。やはり古い。そう思う間もなく自分の席を発見したのだが、なぜか自分の席にはムスリムのご家族が座っていて混乱した。番号を何度も確認したらやはり間違いはなかった。
座席に着くと、何故かその場の雰囲気に溶け込み、私はムスリムの家族の一員になったかのような気がした。そして、列車はゆっくりと動き出した。
Hat Yaiからバンコクまで17時間の旅が始まる。マレー語も、タイ語も話せない私が少し恐縮な気持ちになりながら2〜3時間過ごし、ようやく就寝のための準備が始まる。
列車の1階ボックス席は席を倒すと平行なベッドとして変形し、シーツを張って完成。2階のベッドは天井部を引き下げると完成した。私が高校時代に通学で利用していた419系の列車と同じだった。少し懐かしい気持ちもした。
私のベッドは2階席だった。カーテンを閉めればプライバシーは保たれるが、外の景色が見えないのが残念だった。ハシゴを使ってトイレに行くのも一苦労だが、次第にその不便さにも慣れていった。
みんな歯磨きどうしてるんだろう。あのトイレの水使ってるのかな、と思っているうちに寝てしまった。気がついた頃には夜も開け到着の3時間前であった。あっという間にすぎた時間に驚いた。寝台列車は私に合っているのだろうか。心地よかったのだろうか。
ムスリムの家族と再び座席に戻り、彼らと一緒に朝を迎えた。
ムスリムの家族のお母さんが私に朝食にどうぞとお菓子をくれた。同じようにムスリムの子どもたちにもお菓子を手渡そうとするが、もう食べ飽きたのだろうか、いらない、と首を横に振った。私も首を横に振る事はできない。
このお菓子はチマキ細くしたようなもので、中身は甘いもち米におかかのふりかけを掛けたようなお菓子だった。チマキの葉っぱからもち米を取り出すときに少し糸を引いたのは、こういうものだろう、という軽い気持ちだった。
あっという間に時間がすぎ、車窓からは見慣れたバンコクの景色が見えてきた。来たことのある都市を目の当たりにすると何故か安心するものだ。17時間の深夜特急はなんと1秒たりとも遅れることがなく到着。おそらく鉄道の運転手も全くズレのないスマホの時計を利用しているからだろう。新幹線を乗っているかのような時間のズレのなさだった。
その時私を襲ったのは腹痛だった。あの時もらった細いチマキのお菓子。そういえば糸を引いていた。
書いている人について
Go, Discoverを運営している小西裕太です。記事や写真などすべては私が書いて撮影したものです。私は金沢市を拠点にWeb制作などの仕事をしていますが、旅が大好きで、これまでにアジアやヨーロッパを中心に20数カ国を旅してきました。まだ訪れた国は決して多くはありませんが、その中で経験したことはどれも心に残るものばかりです。思わず笑ってしまうような出来事や、心が温かくなる瞬間。旅を通して感じたものを、いつか誰かと分かち合いたいとずっと思っていました。もしこのサイトを通じて、「旅に出てみたいな」と思ってくれる人が一人でも増えたら、それ以上に嬉しいことはありません。