フィリピン、マニラ。多くの人がこの街に抱くイメージは暗く、どこか危険なものかもしれない。最近の報道では、振り込め詐欺の首謀者がこの街に潜んでいるとされ、「マニラ」その名はさらに不穏な響きを持つようになった。私はそんなマニラに何度も足を運んできたが、そこには東南アジア特有の雑多な風景が広がり、私にとってそれはどこか懐かしいものとして感じていた。
子供たちは路上の水たまりで、まるで時間が止まったかのように遊んでいる。ボロボロの服を着た彼らは、たった一枚のビニール袋で無邪気に遊ぶ。消防車が来たと聞けば、その水撒きを浴びに行く。そんな光景を目の当たりにしながら、私は町中を歩き、写真を撮り続けた。すると、子供たちが「写真を撮って!」と駆け寄ってくる。彼らの笑顔がこの国の豊かさの象徴であるかのように感じた。
だが、それはコロナ前の話だ。コロナ後に訪れたマニラは、まるで別の街のようだった。インフレが進み、物価はかつての数倍に跳ね上がっていた。かつて日本の物価の10分の1であったフィリピンが、今や日本と変わらない物価水準に達していた。その結果、街にはホームレスが増え、子供たちの笑顔も消えてしまった。
最も心に残ったのは、コンビニエンスストアの前にたむろする子供たちだった。彼らは店に入る客に付きまとい、何かを買ってもらおうとしている。かつてはただ笑顔で遊んでいたはずの子供たちが、今は生きるために必死になっている。その変わりように、私は胸が痛んだ。
レストランの前にも同じように集まる子供たち。彼らが何を求めているのか、何を狙っているのかは分からないが、彼らの存在がこの街の現実を突きつけてくる。そんな彼らをかき分けて、私はマニラで有名なスペイン料理の店に入った。
店内は薄暗く、スペイン統治時代の面影を残す装飾が施されている。フィリピンにはスペイン文化の影響が色濃く残っており、その影響は料理にも現れている。私はイカ墨のパエリアを注文した。これは外れないだろう、と自分に言い聞かせながら。
店員は無愛想に注文を取り、キッチンへと消えていく。薄暗い店内、バーのネオンが妖しく光り、東南アジア特有の雑然とした雰囲気が漂っている。やがて運ばれてきたパエリアは、香りも良く、見た目も申し分ない。薄暗がりの中の黒いイカ墨のパエリアはさらに黒く見える。
一口目、二口目、期待通りの美味しさだ。スペインの統治下だけあって面影が残っているな。そう思いながら五口目あたりで何か硬いものが口の中に触れた。何だろう?恐る恐る口から出してみると、それはイカ墨にまみれた「輪ゴム」だった。
この瞬間、私は改めて思い知らされた。マニラは、もう私の知っている街ではなくなっていたのだ、と。
書いている人について
Go, Discoverを運営している小西裕太です。記事や写真などすべては私が書いて撮影したものです。私は金沢市を拠点にWeb制作などの仕事をしていますが、旅が大好きで、これまでにアジアやヨーロッパを中心に20数カ国を旅してきました。まだ訪れた国は決して多くはありませんが、その中で経験したことはどれも心に残るものばかりです。思わず笑ってしまうような出来事や、心が温かくなる瞬間。旅を通して感じたものを、いつか誰かと分かち合いたいとずっと思っていました。もしこのサイトを通じて、「旅に出てみたいな」と思ってくれる人が一人でも増えたら、それ以上に嬉しいことはありません。